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本当の悔しさ

多くの方に「将棋」を注目して頂いて、でもそれが自分が負けたことが引き鉄になっていて、どうしたって悔しい気持ちにしかならない。

それでも色々な角度から興味を持ってくれた人に、そして対局開始からずっと応援、観戦してくれた人に、自分が今思ってることを率直に伝えたいと思います。

とにかく対局前より対局後の方が寝れないなんて、今までどれだけ将棋を指してきても記憶になく、頭の中が支配されたように他に考えることがないというのもありますが。


コメントでも頂いたんですが、「持ち時間を残しておかなかったのがミス」というような感想、考え方がありました。
すごく勝負に関わることで、そうしておけば勝負の結果は違ったんじゃないかと。


まず、それこそが、自分の実力不足でした。

わかり易く言えば、時間を使わないで優勢の局面に到達できる力がなかったです。


人の将棋を読むプロセスは、現局面から有力な手を絞り込んで、そこから流れるように読める範囲の到達局面まで読み進め、そこで形勢判断を行い、そして同じような線を他にも3、4本作るという感じです。

勿論人によって個性や感覚で違う部分が多々有り、読みの中で「すごく感触のいい手」と自分が感じるものを、本線として考えていくようになります。

またトッププロと呼ばれるような人になると、この線が、地面に根を張った幹のような巨大な線になるようなイメージです。

線が太ければ、それだけ形勢判断がしっかりでき、途中で読み抜けているということが減ります。


多くの手を広く考えるというより、まず読まない手を選ぶ、直感的に消す作業が無意識にあります。

それが早く正確でないと、無限にある局面の中から最善手には到底たどり着けません。

人間同士だと秒読みでも、10秒将棋でも時間切れせずにある程度見応えのある将棋が指せるのは、お互い読み筋の線が、かなり近いところにあるからだと思います。

コンピューターの場合は、局面局面を点で捉えているように感じることがあります。

現局面から1つ1つの局面を照らし出して、その中で一番良い局面を選ぶ。勿論、強くなったコンピューターは、数手先の局面の判断もかなり正確だと感じてました。

線VS点になると、途中で何度も線が折られるような感じがありました。

思いもしない手を指されて、また線を構成するには、また一から読み直すというような作業の繰り返しです。

意表を突く手を指されたときなんかは、それまで描いたノートのページを破り捨てて、白地にまた定規をあてがって正確にぶれないように線を引くような作業になります。


そして、それも事前の研究でわかっていたことでした。


わかってたのに阻止できないことが実力不足でした。



もう1つの、「入玉は考えなかったのか?」ということ。

途中で王様を上に逃がす方法はありましたし、考えました。

それは一か八かの賭けで、その時の自分には「少し優勢なはず」という局面の認識があったため、選ぶことができませんでした。

局後に棋士の方6名くらいでその辺の検討もしましたが、人間的には6対4で「入れない」という風に捉えてしまう局面でした。

入玉目指せば絶対勝てた、なんて局面ではなく、どっちを選べばよかったか結果論になってしまうので、その点で後悔している部分ではありません。



そしてここからが一番大事で、今自分が一番悔しいと思ってること。

それは、「勝つ為だけの準備」をしていた筈なのに、それを出すことができなかったことです。

ツツカナのソフトを提供して頂いてから、本番に向けての対策を練っているとき、0,1%でも勝率が上がることならなんでもやってみようと思い、持ち時間を変えた100局近くの練習将棋から、PCではソフトを先手番の局面で見て盤面では自分を手前に見るやり方で、なるべく局面を主観的に見ないようにしようとやってみたり、逆にそれを目を閉じた状態で頭の中だけで盤面をひっくり返して自分がどれだけ正確に形勢判断できるかということもやっていました。

また自分が難しいと思う局面を検討させてみてどういう手を読むのか視察するということは当たり前として、

コンピューター同士で指させてみたりもしました。

ただ単に指させて見るだけではなく、自分が指した将棋のわからなかった局面から指させてみて、どういう将棋になるのか、毎日部屋に籠って、それこそ気がおかしくなるようなことをしながら将棋盤とPCを睨みつけていました。

仮にどんなに練習でうまく勝ったとしても、その数分後にはそれは本番で対戦するソフトじゃないから意味がないっていう気持ちになっても、それでもやらないといけないんだって強迫観念みたいに自分を動かしていました。


そうして自分が「勝つ」イメージ、パターンを少しだけ確立できたと手応えを感じたことがありました。

それは手数が200手前後の超手数になるような、優勢になったら相手の手、攻め手を一つ一つ消していくような指し方でした。

読みの大半が見切りの多い人間が、時間のない中でコンピューターと斬り合うのは危険で、練習将棋でも数多くの逆転負けを喫して痛感してました。

とても最善手と思えない手でも、優勢になったら考え方を変えて、「点」の読み方で相手の手を一手一手消していく、手数がかかろうが勝ち味に遅くても、そうやって優勢を維持していくのが、自分が今回「勝つ為だけの準備」で得た考え方でした。



だから、投了のとき、悲しい顔をしていたと言われて、自分にはわからないけど、そうなんだと思います。


それは負けた無念さもあります。


だけど、本当のところは、この将棋は141手で終わる将棋じゃなかったということが、一番の無念で、今一番悔しいことなんです。

ここから勝ちまでの長い道を乗り越えるための準備をしてきて、さあ!っていうときに、悪手を指して一辺に負けにしてしまったこと。


後悔している、というか、そんな暇もなかった。


ただ投了の直前で自分の中で発していた言葉は、

「違う、違うんだ!もっと指したいんだ!ここからだったんだ!ここから勝ちきる為の準備をしてきた筈なのに、ここで終わるなんて、まだ指したい。まだこの将棋を指していたい。本当の勝負はここからで、そのための準備をしてきたんだ。それなのにここで終わりなんて嫌だ、もっと指したい・・・」

それができなかったことが、心の底から悔しい。


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月下のシン

Author:月下のシン
2008年10月1日付けで棋士となった佐藤慎一です。
気づいたら早いもので4年目に突入!
宜しくお願いします。

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